2020-04-03 第201回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号
○河野国務大臣 今お話がありましたこの建白書は、翁長前知事が那覇市長時代に主導されて、沖縄県内の全四十一市町村長や全市町村議会議長等が署名され、二〇一三年一月に安倍総理宛てに提出されたものと承知をしております。
○河野国務大臣 今お話がありましたこの建白書は、翁長前知事が那覇市長時代に主導されて、沖縄県内の全四十一市町村長や全市町村議会議長等が署名され、二〇一三年一月に安倍総理宛てに提出されたものと承知をしております。
次に、沖縄県庁に移動し、沖縄県知事、沖縄県議会議長及び那覇市長から、首里城再建に向けた課題等について説明を聴取し、意見交換を行いました。 続いて、前回の首里城再建に関わった有識者から、首里城再建に向けた課題等について説明を聴取し、意見交換を行いました。
また、あすも、玉城知事、那覇市長、浦添市長、それからモノレール会社の社長さん、おいでになりまして、モノレールの三両化についての御要請をいただくということになっております。 私としては、沖縄振興、基地負担軽減を含めてしっかり行っていくということで、引き続き努力をしてまいりたいというふうに考えております。
○岩屋国務大臣 照屋先生御指摘の建白書は、翁長前知事が那覇市長時代に主導して取りまとめられたものと承知をしております。これは、沖縄県における今後の政策立案、実施について理解していく上で重要な参照資料の一つになるものと判断するに至ったために、昨年三月、その保存期間を一年延長したところでございます。
続く豊見城市長選挙、那覇市長選挙でも、オール沖縄の山川仁さん、城間幹子さんがそれぞれ当選をいたしました。県民の民意は明確に示されたわけであります。 玉城知事は、十月十二日、安倍総理と会談し、今回の選挙で辺野古新基地建設を認められないという民意が改めて示された、新基地建設に反対する、このように伝え、早急に話合いの場を設けることを求めました。総理は、県民の気持ちに寄り添うと述べました。
総理はこれまで、沖縄の皆様に寄り添う旨答弁してきているものの、沖縄県知事選、豊見城市長選、那覇市長選と、与党が推薦した候補が三回連続で敗れたという事実に照らしてみれば、政府の政策は結果として沖縄県民に全く寄り添えていないこととなるのではないでしょうか。これらの選挙結果を受け、沖縄の民意をどう評価しているのでしょうか。
続く豊見城市長選挙、那覇市長選挙でも、オール沖縄の候補者が勝利しました。 私は、オール沖縄の三連勝は、沖縄にこれ以上新しい基地は要らないという沖縄県民の民意をこの上なく明確な形で示したと考えます。総理は、一連の選挙で示された民意をどのように認識されておられるのか、まず、この点について明確な答弁を求めるものです。 総理は、所信表明で、沖縄の皆さんの心に寄り添うと述べました。
那覇市長選挙なども含め、この間の沖縄での数々の選挙結果が示したものは、沖縄のアイデンティティーがイデオロギーを超えて県民の幅広い支持を得たということにほかなりません。辺野古新基地建設のこれ以上の強行は認められないという沖縄の民意は明らかであります。 安倍総理は、玉城知事就任後すぐに面会して、沖縄県民に寄り添うと言っておきながら、わずか五日後に、沖縄県による埋立承認撤回への対抗措置に出ました。
○小野寺国務大臣 建白書は、翁長知事が那覇市長時代に主導して取りまとめたものと承知をしております。翁長県政における今後の政策立案、実施について理解していく上で、重要な参考資料の一つとなるものと判断するに至ったため、昨年三月、その保存期間を一年延長いたしました。
○稲田国務大臣 御指摘の建白書は、翁長知事が那覇市長時代に主導して取りまとめられたものと承知をしており、翁長県政における今後の政策立案、実施について理解していく上で重要な参照資料の一つになるものと判断するに至ったため、昨年の三月、その保存期間を一年延長したところです。
松本市長は、四年前、初当選を果たされる際には、さまざま経緯があったわけでありますけれども、結果だけ申し述べれば、反対であるという立場で当選をされまして、その後の状況の変化であったり、翁長、後に県知事になるわけですが、県知事や那覇市長がそろって那覇軍港については浦添移設を求めるなどということも踏まえて、沖縄全体の基地負担の軽減に浦添市もともに協力をするんだ、こういうさまざま公益もあるということを第一に
○高井委員 実は、これだけではなくて、沖縄タイムスによれば、別な機動隊員からも別な差別的な発言があったということもお聞きをいたしておりますし、また、十月二十日の沖縄タイムスなんですが、翁長知事が那覇市長だった二〇一三年一月に東京銀座をデモ行進したとき、「沿道からは「非国民」「売国奴」などの罵声が上がり、「中国のスパイ」「日本から出て行け」などの暴言が飛び交った。
前回の知事選で実は翁長さんという方が、那覇市長が当選をしました。このときに経済界の中からも、もう基地は要らないという人たちがその勢力としてバックアップをしました。その理由、例えばキャンプ・シュワブに新しい基地を造ろうとしていますけれども、その基地を造ることよりも、返還をして観光で使った方がもうけがあると。あるいは、雇用効果、今二百人が、返されて私に預けてくれればと観光業界は言います。
その当時の那覇市長だった今の翁長県知事は、それで、今のセルラードームと言われる野球場をもう九〇%以上防衛省の予算でつくって、八条ですか、あれでつくられて、今、あのセルラードームがあるからジャイアンツが沖縄に来て、そして、沖縄のいろいろなコンサートがあのセルラードームで行われるというような、沖縄の観光の骨格になっているんです。あれは物すごい役割を担っているんです、セルラードーム。
思い出すのは、今から十五年前に、下地議員が沖縄選出の衆議員であったころに、当時の那覇市長であった翁長さんと浦添の市長さんと、そして県の知事さんでしたけれども、三者でこの移設の協議会というものをつくりました。
そのため、その当時においても、親米路線をとっていた与党沖縄自由民主党が、党内抗争が激化して、キャラウェーさんに対する反発が強くなって、親米だと言われている方でさえも、このキャラウェー発言を聞いて激怒して、党内抗争が始まって、当時の西銘順治那覇市長ら党内の反主流派は、脱党して、民政クラブ、当時の沖縄自由民主党を結成して、沖縄自民党は分裂するに至ったというような、政治の分岐点みたいなものをつくったのもキャラウェー
この建白書は、翁長知事が那覇市長時代に主導して取りまとめたものと承知しております。翁長県政における今後の政策の立案、実施についても理解していく上で重要な参照資料の一つになるものと判断をするに至ったため、今般、その保存期間を一年延長することといたしました。
同時に実施されました那覇市長選挙、こちらも、県と那覇でオール沖縄の旗を掲げた城間幹子候補が当選をいたしました。これ知事選挙とダブルで勝利を勝ち取ることができたわけですが、実はこのような状況になったのは、仲井眞知事が、御自身の四年前の知事選挙での公約、そのことは、まず埋立てを承認ということではなくて、仲井眞知事は、あくまでも普天間の基地の県外移設、このことを公約にして当選をいたしました。
辺野古新基地建設を最大の争点としたこの沖縄県の知事選挙ですが、新基地建設反対を主張した前那覇市長翁長雄志氏が、現職の仲井眞弘多氏を含む三人の候補者を大差で破り初当選をいたしました。沖縄県知事選挙の結果について、岸田外務大臣の見解を伺います。
来る十一月十六日の県知事選挙では、政府と一体となって辺野古新基地建設を推進する現職の仲井真知事と、ウチナーンチュの尊厳とアイデンティティーにかけて辺野古に新基地をつくらせないと公約する翁長前那覇市長による事実上の一騎打ちになると予想されます。
それを最近は悪い癖が付いて、那覇軍港も条件を付けるから、四十一年たっても返還が実現していないから那覇市長もあんなに怒るんですよ。あんなに優しい那覇市長が、沖縄は一本化でまとまらなければいつでも押し付けられてしまうと。翁長那覇市長がこの間上京しておっしゃったことは、基地問題は日本政府の沖縄いじめだと。防衛大臣はお聞きになったでしょう、沖縄いじめだと。いじめるということは社会的な犯罪行為ですよ。
私もその中におりましたが、本当に総理はこの建白書を重く受け止めると、こういう姿勢で代表の那覇市長、翁長雄志さんから受け止めておられました。 そういうこともオバマ大統領にも伝えていく。そういうふうにして、日米間、沖縄の訴えておることを是非アメリカ側にも伝える努力をしていただきたいと思います。 以上申し上げまして、私の質問を終わります。